お盆はずっとバタバタしていて、お墓参りも行けてなかったので15日にお墓参りへ。
今年のお盆はなんだか重い気分だった。
それは、例年と比べ天気が崩れっぱなしだったからか、はたまたコロナの収束に兆しが見えるどころか、感染者は増える一方だからかわからない。
先日、商工会議所の方と話していて、年に何度か研修があり、事業者さんを連れて数年前はミャンマーに行ったという話を聞いてハッとなった。
ビルマの砂
ミャンマー(旧ビルマ)への情景。
戦禍に散った亡き祖父の兄弟。
「遺品なんて何一つ送られてきやしなかった。送られてきたのは死亡告知書とビルマの砂だけ」
そう語ったのは亡くなってしまった僕の祖父だった。
「生きたかっただろうに…」
そんな甘い言葉は、戦争を知らない僕の世代だから言えることかもしれない。
幾重にも重なり受け継がれていく命を。
その中で刻まれていったその思いを僕は、祖父の兄弟に馳せているのかもしれない。
「鍋すら買えなかった。」
「鍋すら買えなかった。」
誰しもが聞いたこの言葉を、きっと現在、子供の子たちはこのリアルボイスを聞かされずに育つ子もいるだろう。
こんな話を中の友人にすると「ほんとお前は変わってるな」と言われるのだけれど。
内から滲み出てくる思いってものは、自分でもどうしようもないものがある。
歴史とは何もしなければ、風化していくもの。
戦争も水俣病も、原発事故も。
「臭いものには蓋をする」のを美徳と捉え、事実という現実から目を背け、事なかれ主義の最前列を走っている人には、もちろん理解してもらえないだろう。
なにをどう処理すれば自分の腹に落とすことができるのだろうか。そんな事を考えなが「あぁもう夏が終わるのだ」と思い、この曲を聴いてる。
南北戦争で散っていった数々の兵士を思いながらTHE BANDのロビー・ロバートソンはTHE BAND 唯一のアメリカ人、リヴォン・ヘルムに向けて曲を書いた。
毎年、墓参りに行く道中には、繰り返しこの曲を聴きながら。
セミの鳴き声をかき消すようなホーンセクションの音が、うんと澄んだ青空の彼方に広がって。
“The Night They Drove Old Dixie Down”
The Band
暑い夏の日に。
赤とんぼが舞うこの季節に。