前回書いた続きで、観光ツアーのお客さんに湖上ガイドをしてくださり、琵琶湖のことについていろいろ教えていだき、本当にかっこいいと思った漁師さんについて書こうと思う。
琵琶湖の水深や、撮れる魚から漁の仕方などを丁寧に説明してくださった。
本当は見せたくはないんやで
琵琶湖に来られた方々に、鯉や鮒、ビワマスなどの古来種につて説明してくださった漁師さん。
いろいろと説明してくださった中で
「これは本当は見せたくはないけど現実だから」
そう言って、観光ツアーに来てくれた方々に見せてくれた一枚の写真。
写真をみなさんに見てもらって、こんな事を仰っていた。
「遠方から来てくれた方に対して琵琶湖って「きれいだね」だけを感じて帰られる方がほとんど。
もちろんそれでいいと思ってる。
だけどね。実際は川から流れ着いたゴミが流れてきている。
滋賀には登山するにはとても最適な山がいくつもある。
登山をして、缶コーヒーを飲んで何気なく捨てた空き缶が今は、自然に対する影響ってやつはその時は何も起こらなくても、数ヶ月経って台風でも来れば、風で飛ばされやがて川に着き、そのまま流れて琵琶湖にやってくる。こんな現実もあるんだよってことを知ってもらいたい」
この事実を知ってもらって「自然」のことも少し考えてもらえるきっかけになれば嬉しいと。
この言葉を聞いて先日訪れたベトナムを思い出してしまう。
例えばこんなシーン
「知らなくていいなら知らないほういい。」
なぜってそれを知らなくても「旅行」は完結する。
漁師さんはやっぱり、あの時の僕と似た心境だったのじゃないかと思う。
母なる湖、琵琶湖。
幾多にも支流が重なり一級河川などと一緒になって、この琵琶湖は一つの大きな湖になる。
琵琶湖の話でいと90年代に大ブームになった「バス釣り」
ここ琵琶湖でも、バス釣りブームがものすごかった時代は港はゴミがすごかった。
ルアーのパッケージ、釣り糸、釣られたブルーギルがそのまま捨てられていた。それ見て子供ながらにして「カッコ悪!」って思ったのを今でも覚えている。
これと一緒で先に述べた登山。
「○○山!登山成功!!!」インスタなどで流れてくる情報を見ながら思ってしまう。
例えばエベレスト。
「あの人数で運んだ荷物は持って帰ってるのかな?登る時に使ったハシゴなんか帰る時に外して持って帰るのかな?」きっと目的が登る事やし、きっと帰りに時間をかける事は無いし、手ぶらで帰っ来るんだろうな?
「自然」を語る反面、結果的にいっぱい物捨てるやろな。カッコ悪る。と思ってたから、エベレストはゴミの山に成ってるんだろうな。
でも、それらの殆どは雪で隠れて誰も突っ込まないんだろうな。ゴミや物を持って帰れ!って言ったら、その山には誰も登らなくなるから地元はお金が落ちないんだろうな。と思ってた。
エベレストの登山道具ゴミの掃除を言い出した登山家を「立派な人」と新聞もテレビも評価をしているが「普通の事」が「凄い事」になる世の中を批評しないのが面白い。
そしてインターネットが発展し日々の生活が便利になる反面、普通の単なる「掃除」が色んな意味でお金を産む時代が面白い。
写真は、湖北水鳥ステーション前のワンシーン。
ここは夕暮れ時などにはプチ渋滞になったりする。看板には「スピード落とすな!」の文字。
信号も停止線もなにもない、一本道でスピード違反取締り区域にしてもいいくらいの道なのに。なぜかスピードが落ちる。「スピード落とすな!」の文字があっても不思議と車は自然とブレーキが踏まれていく。
それは人間が本能的に求める「自然」に対する思いがあるからであって。それは大都会の夜景よりも心を奪われてしまうのものなんじゃないかな。
季節、時間など様々な要素が重なって「自然が生み出した景色」それは人間が本能的に求めているものだと思う。
そんなことを思いながら撮影をした一日だった。
この記事を書いた人
- 1985.11.09 滋賀⇄東京⇄滋賀
最近気になるのはChatGPT OpenAi関連… 生成Aiにはどう頑張っても勝てないのでもう考えることを辞めましたw
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