HAWAIIの綺麗な風景や美味しい食事だけを味わって「旅行者」を気取ることは簡単だと思う。
だけど僕は、毎回旅をする度に、その国々の真の姿を自分の目で見てみたい。という想いが優先してしまう。
そんな思いでやはり、今回はHAWAIIと言うよりアメリカの歴史を語る上では欠かせないパール・ハーバーへ行ってきた。
パールハーバーの代表的な記念館であるアリゾナ記念館は、なんと真珠湾攻撃でパールハーバーに沈んだ戦艦アリゾナ号の上に建てられた記念碑。
日本人がパールハーバーに沈めた戦艦。記念館ではパールハーバーの海中に沈没した戦艦の姿を見ることができる。
アリゾナの涙
パールハーバーのアリゾナ記念館とは、1962年に戦艦アリゾナ号の真上に建てられた記念館。
1941年12月、日本連合艦隊による真珠湾奇襲攻撃で、パールハーバーの海底へ沈んだ戦艦アリゾナ号。
今でもアリゾナ号からは、肉眼でもしっかりと見えるくらいオイルが漏れ続けていて「アリゾナの涙」と呼ばれている。
パールハーバーの環境へダメージを与えているとも言われているため、アメリカの軍隊で調査を続けている。
戦争の傷跡ってやつは今でもこうして、僕らにその残酷さを訴えている。
歴史を変えた運命の日
1941年12月7日、日本連合艦隊による真珠湾奇襲攻撃を開始した。
日本兵の情報もしっかりと掲載されており、真珠湾攻撃を開始した具体的な武器やルートや戦略などが展示されれていた。
もっとも、アメリカ側は当時すでに日本の暗号電文を完全に解読しており、宣戦布告が行われることも真珠湾攻撃の開始以前に把握していた。
また、真珠湾攻撃についても、日本が当時太平洋上最大の米軍基地だった真珠湾を狙うこと、作戦に使用する空母の数、決行は休日で米軍側の配備が手薄な週末、出撃地点は北方であることまで、正確に予測していた。
シナリオ通りの日本軍の攻撃
そこまで情報が洩れていたのなら、何故真珠湾攻撃は成功し、甚大な被害を出したのか?
これは今ではよく知られているとおり、アメリカ政府としては日本から戦争に持ち込んだという既成事実が欲しかったから。
日本は見事にアメリカの罠にかかった。奇襲攻撃の成功は、アメリカにとっては予定通りのシナリオだった。
「トラ・トラ・トラ」という言葉。真珠湾の奇襲攻撃が成功したことを伝える電報の暗号略号。
そして真珠湾攻撃の翌日8日。フランクリン・ルーズベルト大統領は日本への宣言布告の署名をし、ここから3年9カ月に及ぶ大東亜戦争(太平洋戦争)に突入し、日本にとってその後の未来を大きく変える日となった。
千羽鶴が飾られるたスペース。
広島を訪れてからずっと感じていた、「戦争」というものへの向き合いかたを考えさせられる。
今を生きる僕らにとってすれば過ぎ去った過去かもしれない。
だけれど、その悲しくも辛い歴史の上に僕らは生かされているわけで。
その両国共に、幾多もの兵士が散っていき、どちらかが勝ち、そしてどちらかが負ける。
戦争には「NO」を言う。
これは僕の未来永劫変わらない普遍的な心理だ。
人間が本質的にもっている倫理観や道徳観を後世に残すためにも、こういった場に足を踏み入れるべきではないか。
と改めて考えさせられた一日だった。
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この記事を書いた人
- 1985.11.09 滋賀⇄東京⇄滋賀
最近気になるのはChatGPT OpenAi関連… 生成Aiにはどう頑張っても勝てないのでもう考えることを辞めましたw
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