詐欺という「洗礼」を受けた翌日、自分はひとつ決めていた。

今度は誰の誘いにも乗らない。自分の足で、自分のペースで、この街を歩き尽くす。

そうして迎えたデリー最終日は、インドが持つもう一つの顔——歴史と威厳と、圧倒的な美しさを自分に叩きつけてくる一日になりました。
クトゥブ・ミナール、800年の静寂
デリー南部に位置するクトゥブ・ミナールに足を踏み入れた瞬間、時間の流れが変わる感覚がありました。

高さ72メートル。12世紀末にイスラム王朝によって建てられた、インド最古のモスクの尖塔。赤砂岩を幾重にも積み上げたその塔は、青空の下でゆったりとした威圧感を放ちながら、ただそこに立っていました。

近づけば近づくほど、その彫刻の精緻さに息を呑みます。石の表面を埋め尽くすアラビア文字と植物文様——ひと彫りひと彫りに、名もなき職人たちの気魄が宿っている。

回廊の天井を見上げると、蓮の花を模した円形の浮き彫りが、今も完璧な均整を保っていました。8世紀を超えてなお、これほどの密度で美を維持し続けるものが、この世界に存在する。

自分がどれだけ丁寧な仕事をしても、この石たちが持つ時間の重みには、到底敵わない。そんな清々しい敗北感を胸に、石畳の上に立ち尽くしました。
Gulatiのカレー、老舗の矜持
観光を終えた体に、本場のインド料理を流し込みたくなりました。
向かったのは、インド門近くに1959年創業の老舗レストラン、Gulati。半世紀以上にわたって、地元の人々と旅人の両方に愛され続けてきた店です。

運ばれてきたのは、艶やかな橙色のソースが鍋の縁までたっぷり満ちた、チキンカレー。
一口、スプーンを口に運ぶ。

バターの甘さとトマトの酸味が最初に来て、そこにクミン、コリアンダー、ガラムマサラの複雑な層が次々と押し寄せてくる。骨付きチキンはほろりと崩れ、その旨味が深いソースと溶け合って、喉の奥から胃の腑まで、熱とともに広がっていく感覚がありました。

デザートに運ばれてきたのも、また良かった。素焼きのクルハッドに盛られたクヒール——米と牛乳をじっくり煮詰めたインドの甘味に、チョコレートとマンゴーのアイス、サンタクロースの顔を模したクリスマスのカップケーキが小さく添えられていました。

パハールガンジの路地裏で食べたチープなビリヤニも最高だったけれど、この老舗の一皿が持つ風格は、また別次元のものでした。インドの食は、価格に関係なく、外さない。

その確信を、自分はデリーで完全に得ました。
パハールガンジ夜市、光と喧騒の迷宮
夜が訪れると、パハールガンジは昼間とはまた違う顔を見せます。

路地を彩る無数の電球が灯り始め、通り全体がぼんやりとした金色の光に包まれていく。その下を、青いトゥクトゥクたちが数珠つなぎになって、けたたましいクラクションとともに進んでいく。

道の両端の露店では、インド刺繍の施されたカラフルなストールやクルタが山積みになっていました。ピンク、マスタード、ターコイズ、深紅——どれも目が覚めるような発色で、ひとつひとつの布に職人の手仕事が宿っている。
値札はない。全て、交渉で決まる。これがパハールガンジの流儀です。

ヨーロッパのハイブランドが積み上げた「定価という秩序」とは真逆の、むき出しの経済が路上で生きている。それが混沌であり、しかし同時に人間の商いの原点でもあると、自分には感じられました。
インド門の夜、三色の光に誓う
デリー最後の夜、インド門へと向かいました。

霧がかかり始めた夜のカルトヴィヤ・パトを歩いていくと、闇の中に突然、オレンジ、白、緑のトリコロールに照らし出されたアーチが現れます。
インドの国旗と同じ三色のライトアップ。第一次世界大戦で戦死した9万人を超えるインド兵のために建てられた慰霊碑が、今夜も静かに、夜空に向かって聳えていました。
周囲には家族連れや若者たちが集まり、写真を撮り、笑い、談笑している。慰霊碑の前であることを忘れさせるほどの賑わい。しかしそれが、インドという国の「生」の在り方なのかもしれない、と自分は思いました。

悲しみも、誇りも、祈りも、生活も——全てが混じり合って、それでも前を向いて生きていく。

霧の向こうに滲むトリコロールを眺めながら、この3日間で飲み込んできたもの——カオスも、詐欺も、美食も、石塔の静寂も——全てがこの国の「本気」だったのだと、ようやく腑に落ちた気がしました。

ニューデリーに別れを告げ、自分は翌朝、JCI全国大会の舞台、チェンナイへと向かいます。
インド編、物語はここからが本番です。
この記事を書いた人








