大切なのは、仲間さ。信じ合い、助け合える仲間。
社会に出て会社勤めすると会社は誰のもの、株主資本云々なんて言うけれど、働いている人間にしてみるとそんなこと関係ないよと思うのです。
人として、一人前の仕事をしようとしたら、最低でも三年ぐらいは一つの仕事を続ける必要がある。熟練を要する仕事ならば、下手をすれば十年、否、一生かけても到達できない境地がある。だとしたら、一つの仕事に一生をかけていく覚悟をするしかない。この仕事で生きたいこうと腹を決めるしかない。そうやって真剣に決めた仕事をお役ご免と切り捨てさせるのは、残酷だ。生半可な覚悟で就職するわけではない。人生を賭けて職を決めるのである。
だから、僕は定年制というのは、残酷な制度だと思う。だって人生には、定年なんてないんだぜ。
定年だからと言って人生をリセットなんてできない。六十を過ぎて、人生をリセットされ二十歳そこそこの人間と同じ次元で新しい人生を歩めなんて無茶苦茶な話だ。
一年後に定年しようとする者が二年後のことを約束しようがないのだから・・・。自分が責任を持ったことを言えない以上、責任感が強ければ強いほど無責任なる。こんな残酷な話はない。
自分の仕事は、その人の誇りや生き甲斐の源泉なのである。それを取り上げた上にそれまでの業績、実績を貨幣に換算し、清算してしまったら、どうやって生きいけと言うのだろう。だから、これから、認知症も鬱病も確実に増える。新しい事に挑戦するような気力も体力も失せたときに、身包み剥いで社会に放り出せば、これまでの俺の人生は何だったのかと答のない事に自問自答せざるをえなくなる。なんと残酷な話だろうか。
家が高級であっても設備が最新であっても人情、人の心がこもった物でなければ、かえって虚しいと思う。優しさがなければ生きいく喜びがない。少なくとも幸せな老後は送れない。
だから、昔の人は、義理と人情を尊び、信頼関係、仲間を大切にしたんだ。
会社員である前に人間であるべきなんだ。そして、同僚や上司は、一緒に生きていく仲間なんだよ。だから、礼節が大切になるんだよ。結局、自分が幸せになるためにさ。
ギスギスした人間関係の中で生きていくなんて、人生をつまらないものにしてしまうもの。
困った時に助け合っていける仲間作り、それが人生の基本なんだ。
映画「ゴッドファーザー」はそれをハタチそこそこの僕に教えてくれた。見る人によっては乱暴な部分だけが目につくかもしれないけれど監督コッポラは、あのシーンを通じて「人間が生きていく上で」大切なことを表現したかったに違いない。人を信じるということの尊さ。仲間として奉仕の精神をこれでもかと描写した。
仲間や友達、夫婦に定年はない。大切なのは、一生ともにできる仲間さ。その仲間は、仕事仲間であり、家族であり、友達だよ。その仲間とどう付き合っていくか。お金で換算できないこと。それが一番大切なことじゃないかな。
最後に、手をとり。
「嗚呼、良い人生だった。幸せだった。」
と言えるような仲間こそ最大の宝じゃないかな。
この記事を書いた人
- 1985.11.09 滋賀⇄東京⇄滋賀
最近気になるのはChatGPT OpenAi関連… 生成Aiにはどう頑張っても勝てないのでもう考えることを辞めましたw
▪趣味:旅行 ギター 読書 キャンプ 釣りとか…
7年前に始めたBLOGも600記事を超えました。
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