先日の石井拳之くんの記事につづいてですが、きっとこれまでにたくさんの壁があったと思いますが、それを一つ一つ乗り越えて来たからこそ「今」がある。
最近思うことは、この「今」に執着せずに、解像度のあやふやな「未来」=「安定」という錯覚に陥っている人が多いなー。と感じています。
至極当たりまえの話ですが、成長し続け、結果を出す人は「今」を蔑ろには決してしません。
それは、優秀な人ほど「今」という時間軸の貴重性を深く知っているからです。
目先の損得で身の振り方を変えていってしまっていては永久出られない迷路に迷い込むのとの等しいとうからです。
先日の堀江さんのお話を聞いて、そんなことを思い出しました。
一筋の光を大切だと思い、邁進する気概を持っている人というのは、やはり当たり前の様に結果を出します。
そしてそういう人たちに共通しているのは、諦めたり辞めないことです。自らが信じた道を、山を、己の身を粉にしても登りぬく「覚悟」を持っています。
行動し続ける人の割合
こんな面白いデータがあります。
行動する人は25%
途中で諦める人は70%
継続する人は5%
ちなみに…
3ヶ月続くブログは70%
1年間続くブログは30%
2年間続くブログは10%
皆さんはどうですか?
この数字から見れるのは継続する人ってそれだけでもある意味希少なのかと考えてしまいますが、それでも僕は様々な要因があったとしても上記のマス=大多数組に入りたいとは思いません。笑
なぜなら、社会に置き換えると代替えが効く人材になってしまうからです。
もっと言うと「あなたでなくても大丈夫」=「人から必要とされない人」になってしまうんです。
結構、残酷ですが事実です。
先日の堀江貴文さんの記事にていて
その堀江さんの公演後、こんな記事を見ました。
「やりたいことがない人」のパターンという記事にて。
彼はこんな風に答えています。
生活はどうにでもなる。損得勘定で自分を縛っていないか?
あなたが夢中になれるものをやる。それが正しいアクションの第一歩だ。だが一方で、ちまたには「やりたいことの見つけ方」みたいな本があふれている。
ぼくには理解しがたいのだが、やりたいことがなんなのか、夢中になれるものがなんなのか、その第一歩でさまよっているひとが多いらしい。そんな事態に陥るひとにはいくつかのパターンがあると思う。
1つ目は、自分に正直になれていないというパターンだ。自分の内面をろくに点検せず、安易にだれかを真似ようとする。いま世のなかで輝いているように見える仕事や趣味にだけ限定して、自分のやりたいことを選ぼうとするわけだ。それは違う。
たとえばユーチューバーが楽しそうに動画を配信しているからといって、あなたがそれと同じ立場や状況を楽しめるわけではない。あたりまえの話である。「楽しそう」と「楽しい」はまったくの別物。そこをごっちゃにするから目が曇る。
「あのひとが楽しそう」なのはどうでもいい。大事なのはあなただ。あなたのなかにしか選択肢はない。そしてそこに必ず答えはある。
変わらないこと
どんどん新しい波が実社会に押し寄せる中、今までと同じこと=安心・安定とされていたことでは淘汰されてしまいますよ。というのをこのBLOGを書き始めた頃から口が酸っぱくなるほど言ってきました。
しかし、それを理解している人というのは、残念ながら未だに少数だと思います。
(自分の周りで真に理解されているなと感じているのは10人も満たないです)
落合陽一さんの数年前の講演で強く共感したものは、結局大学というのは特性がある人材でも、なんでもかんでも汎用性を効く人材を無理に量産していってしまっているということ。
結果、なんでも潰しが効くという錯覚に陥っているだけで、裏を返せば「何もできない人」になっていませんか。
だとしたら、すごーくもったいないですよ。
この記事を書いた人
- 1985.11.09 滋賀⇄東京⇄滋賀
最近気になるのはChatGPT OpenAi関連… 生成Aiにはどう頑張っても勝てないのでもう考えることを辞めましたw
▪趣味:旅行 ギター 読書 キャンプ 釣りとか…
7年前に始めたBLOGも600記事を超えました。
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