デュデンの滝〜ペルゲ遺跡 計り知れないアンタルヤの魅力

2024.04.19

アンタルヤ最終日、エルさんのご好意で「遺跡見に行く?」とお声をかけていただき、なんと、遺跡巡りに連れて行ってもう事ができました。

「でもその前に見せたいものがある!!」と言われ、向かった先が…

デュデンの滝

アンタルヤ市のすぐ郊外にあるデュデンの滝は、トルコの息をのむような美しい自然を象徴するような滝であり、訪れた人たちを魅了しています。

上流からは手つかずの自然がしっかりと残っており、そこから勢いよく落ちる滝が、なんと裏から見れるのです。

これには滝マニアでない僕も流石に感動。
滝は 2 つの部分に分かれており、1 つは内陸側のアッパー デュデン滝、もう 1 つがローワー デュデン滝です。

そしてこの滝が崖の上にある 2 段の滝のうち、下段の滝は、ララ ビーチからそれほど遠くない海に直接流れ落ちていきます。。

それがなんと、こちら、、、

とてつもない勢いで流れる滝。
その行く先はなんと、、、地中海。。。。

大きな滝が世界には有名な滝は数あれど、海に直接降り注ぐ滝を見たのは、流石に生まれて始めてでしたので、これには本当に感動と驚きが隠せませんでした。。。

ペルゲ遺跡

そして、続いて連れてきてもらったのが、本命、ペレゲ遺跡。

ペルゲの町の起源は、紀元前1200年頃のトロイ戦争後に移住してきたギリシャ人により建設されたとも言われるが、現在のところはっきりと不明。

紀元前546年にペルシア人によって支配されたが、約200年後の紀元前333年にはアレキサンダー大王によってマケドニアの領土として支配されました。

紀元前188年にはローマ帝国の支配下となり、最盛期を迎えた。同時に、小アジアにおける原始キリスト教の重要拠点でもあったそうです。

パウロもキリスト教布教のためにこの町に滞在したと聖書に記されている。現在の遺跡のほとんどはこの時代に建てられたもの。

ローマ帝国が滅亡した後も、ぺルガは定住地であり続けたが、セルチュク朝時代に廃墟となったようです。

すべて大理石を加工されて、作られてあり、見るものを圧巻させてくれます。

1946年から1953年にかけて、トルコ歴史協会を代表してアリフ・ミュフィッド・マンセル教授がペルゲで最初の考古学的発掘調査を行いました。

1967年には、イスタンブール大学の研究プログラムの枠組みの中で発掘作業が再開されました。

海抜50mほどのアクロポリスの遺跡には、城壁やアルテミス神殿、ローマ時代の教会跡が残っています。アクロポリスの丘の麓には、三方を丘陵で囲まれた街区の遺跡が広がっています。この街区には、浴場やビザンツ教会、ガイウス・ユリウス・コルナトゥスの居城跡などがあります。

柱付近にある縦長の箱状になっている石畳はなんと水路。
当時、温水が流れ、ヒーターの役目を果たしていたそうです。

確かにここには街があり、人々が住み暮らし、人類が作る文明がしっかりと残っていました。

数々の彫刻デザイン、全てにおいて合理的な水路や間取りの設計など、自分がまるでタイムスリップしたかのような感覚になるほどのパワーも持った場所でした。

時空を飛び越えてローマを感じ、現代と重ね合わせた瞬間から文明を深く体現できたとても貴重な時間でした。

この写真を撮った直後、自身のDNAが活性化し、頭の中から自然とこの歌が繰り返し流れてきました。
プログレッシヴ・ロックのバラードから。

 

“Wish You Were Here”
Pink Floyd

※タップ(クリック)すると曲が流れます。

 

最後に夕暮れに焼けた地中海。
次回は、トルコにて最後に訪れた地、カッパドキア。

この記事を書いた人

TAKASHI YAMANAKA
TAKASHI YAMANAKA代表取締役
1985.11.09 滋賀⇄東京⇄滋賀
最近気になるのはChatGPT OpenAi関連… 生成Aiにはどう頑張っても勝てないのでもう考えることを辞めましたw
▪趣味:旅行 ギター 読書 キャンプ 釣りとか…
7年前に始めたBLOGも600記事を超えました。
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CEO

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