5月3日の夜、サンセバスチャンを発ちました。
ビスケー湾の白いカーブが、機窓の向こうで薄く小さくなっていきます。次の街はバルセロナ。スペインで、ずっと一度は歩いてみたかった場所です。
ガウディ。モデルニスモ。ピカソ。地中海。
そしてサクラダ・ファミリア──2026年に完成すると公式に発表されている、世界でいちばん長く建ち続けてきた聖堂。完成前の姿を、自分の目で見ておきたいと思って、この日を組みました。

旧首都マドリードの石、北バスクの海と楊枝。スペインという国の異なる肌触りを順に通り抜けてきて、ここバルセロナで、自分はもうひとつの違う層を受け取ることになります。
カタルーニャ広場の鳩
朝、宿を出てまず向かったのは、カタルーニャ広場。
バルセロナの街の心臓部にあたる、巨大な楕円のプラザです。

噴水のまわりに、子どもがバゲットを投げると、何百羽の鳩がいっせいに地面を覆って動き出す。スペインの広場というのは、人と鳥と建築が、いつも同じ床の上にいるのだなと、ここに来るたびに思います。
ここから北に伸びるのが、ガウディたちのモデルニスモが集まる大通り、パセイジ・ダ・グラシア。今日の散歩は、ここから始まります。
パセイジ・ダ・グラシアの建築
通りを歩き出すと、すぐに足が止まりました。
ロエベの店舗が、20世紀初頭のモデルニスモ建築のなかにそのまま入っていたからです。

水色に塗られた壁、白い石彫りの花輪、その奥にマネキンと現代の服。百年前の建築と、いまの世界的ブランドが、何の違和感もなく同居しています。

このLOEWEが入っている建物は、リュイス・ドメネク・イ・モンタネルが設計したカサ・リェオ・モレラ。
バトリョ邸、アマトリェル邸と並んで「不和の街区」と呼ばれる、モデルニスモ建築の三巨匠が競い合った一角でした。

派手な競演でも、整然とした統一でもなく、お互いに違うことを誇る街並み。バルセロナという街の懐の深さが、最初の通りで早くも見えてきました。
カサ・バトリョ
その不和の街区の角に、カサ・バトリョが立っています。
ガウディが、もともとあった建物を改装した邸宅で、骨と内臓のような曲線と、緑と青と紫のステンドガラスのモザイクで彩られている。ガラスの欠片を貼り合わせて、海面のように光を反射させる外壁。

柱のかたちは、人骨と魚の骨が混じり合ったような有機的な造形。
百二十年前にこれを発想した建築家の脳の構造を、自分は知りたいとずっと思っていました。

正面のテラスから少し離れて、建物の全体像を見上げる場所まで戻りました。
ガウディがこの建物で何を見ていたのか、ようやくわずかにわかった気がしました。彼はおそらく、建物を「建てる」のではなく「生やす」と考えていた人だったのだと思います。
石が植物のように立ち上がり、ガラスが鱗のように呼吸する。ものを作るという行為のいちばん奥に、こういう感性があってもいい。
カサ・ミラ、波打つ住居
少し北へ歩くと、別の角にカサ・ミラ──通称ラ・ペドレラがありました。
こちらも同じガウディの作品で、波打つ砂岩の外壁と、海藻のように絡まる鉄細工のバルコニーが特徴です。

1906年から1912年にかけて建てられて以来、いまも一般の人が住むマンションとして使われている。世界遺産に住む、ということが、この街では普通の暮らしです。
旧市街と、四匹の猫

足を南へ向け直して、旧市街、バリ・ゴティックに入っていきました。
細い路地のあいだから、ふいに大聖堂のゴシック様式の塔が現れる。カタルーニャ独立を主張する赤と黄色の縦縞旗があちこちに掲げられていて、その隣の壁にはレインボーの旗。歴史と現在の主張が、同じ壁の上で重なって息をしていました。

旧市街の小さな路地のひとつに、エルス・クアトレ・ガッツ──「四匹の猫」というカフェがありました。

1897年創業。若き日のピカソが通い、ここで個人作品の最初の展覧会を開いた、モデルニスモのサロンです。壁いっぱいに飾られた古い写真と、天井から吊り下げられたハモンの足、長いカウンターに並ぶビール樽。

歴史が観光のために凍結されているのではなく、いまも夕食の席として使われているところが、この街の懐の深さでした。
古道具市の広場

旧市街を歩いているうちに、白いテントを連ねた古道具市に行きあたりました。
日本でいうと、酉の市のような賑わいです。
広場の真ん中に、ひとつのテントから次のテントへ、人がのんびりと吸い寄せられていく。
古い折りたたみ式のカメラ、アフリカの木彫り、額装された手描きのリトグラフ、金箔の壺、銀のブローチ。時代も国も統一されていない、けれどなぜか同じテントの下に収まっている。
バルセロナという街は、世界の何処かから運び込まれてきたものを受け入れる気質を、ずっと持ち続けているのだと思いました。

別の店の奥には、ガラスケースに収まった古い刀剣と、銀の鎖の飾りが並んでいました。
象牙のグリップ、角のかたちをした柄、宗教メダルや小さな十字架。誰のものだったのか、いつ作られたのか、店主自身も詳しくは知らないと言います。
それでも、ひとつひとつに、確かに「持ち主の時間」が宿っているような気配がしました。

店主に手渡されたのは、星をぐるりと打ち付けた、金属の小さなお守りのような板でした。
モロッコあたりのお守りらしいですよ、と笑顔で説明してくれました。
こうやって、誰かのものだったものが、また誰かの手に渡って、また長い時間を歩いていく。蚤の市というのは、物の余生をやさしく繋ぐ場所なのだと、改めて思いました。
黒いパエリア
昼は、サン・ジョセップ・ラ・ボケリア市場の近くの店に入りました。
頼んだのは、アロス・ネグロ。イカ墨で米を炊いた、地中海沿岸のパエリアです。
数年前、イタリアで初めて食べたイカ墨料理があまりにも美味しくて、ヨーロッパに来るたびに、注文してしまいます。

チェックのテーブルクロスの上に、漆黒の米がぎっしりと盛られた鉄鍋がやってきました。
スプーンですくうと、湯気の中に、小さなアサリと、丸ごとのエビと、イカの輪切りが浮かんでいる。口に入れた瞬間、塩気と、磯の香りと、米の芯の甘さが、層になって押し寄せてきます。

黒い米というのは、見た目の強さに反して、味そのものはとても繊細でした。
イカ墨の海の風味が、控えめに米を染めているだけ。スペインという国の料理は、こうした「視覚で派手、味は引き算」というバランスを、街ごとに少しずつ変えて持ち合わせているのだと思いました。
ハードロックの記憶
各都市にあると必ず訪れることにしている、ハードロックカフェにも立ち寄りました。

ジミ・ヘンドリックスのリゾネーター・ギター、ホイットニー・ヒューストンの真っ赤なドレス。ガラスケースのなかに、20世紀後半の音楽の核を成した人たちの「物」が、静かに並んでいる。

バルセロナという街の文脈で見ると、これもまたひとつの「現代の聖遺物」のように見えました。
建築も、音楽も、料理も、この街は「物に魂を込める」ことに、ずっとこだわってきたのだなと思います。
凱旋門の長い道

夕方、サクラダ・ファミリアへ向かう前に、凱旋門を通り抜けました。
1888年のバルセロナ万博のために建てられた、赤レンガの凱旋門です。パリの凱旋門が「勝利」を讃えるのに対して、こちらは「進歩」を讃えるためのもの。柔らかな赤茶色の装飾に、上には王冠とカタルーニャの紋章が並んでいて、軍事の色合いがどこにもない。
万博の時代、人類がいちばん未来を信じていた瞬間のかたちが、いまも街の中心に残されていました。
完成前の、サクラダ・ファミリア
そして、いよいよ。
サクラダ・ファミリア。1882年に着工し、144年ものあいだ建ち続け、2026年に完成すると公式に発表されている、世界でいちばん長い建築プロジェクト。

完成前のこの聖堂を、自分はどうしても自分の目で見ておきたかったのです。
到着した瞬間、足が止まりました。
頭の中で想像していた写真の何倍も、それは大きく、たくましく、生き物のように立っていました。真上から差す午後の光が、無数の尖塔のあいだで何度も折れ、ステンドガラスを通って下の世界に虹を落としている。

あちこちにまだクレーンが残っていて、頂上付近では小さな足場の上で職人が作業を続けていました。完成しきらない、生きたままの聖堂。
ガウディがこの世を去った1926年から、ちょうど100年。今年がその節目で、これが完成するということに、自分は身体ごと震えるような感覚を覚えました。
正面のファサードに回ると、植物が伸び上がるように積み上げられた彫刻群が、ゆっくりと空に向かって溶けていく。
キリストの生誕、受難、栄光。三つのファサードに、ガウディは聖書の物語をそのまま石で語らせている。

ここにある「祈り」は、教会的な厳粛さではなく、むしろ生命そのものへの讃歌のような明るさをまとっていました。
何時間でも立ち尽くしていられる場所でした。
外側の彫刻は、ガウディの構想を後の世代の建築家たちが受け継ぎ、現代の技術で少しずつかたちにしてきたものです。140年という途方もない時間をひとつの建物が積み重ねている事実そのものが、自分を黙らせました。
ひとりの天才だけが完成させるのではない。誰かが始めたものを、誰かが受け取り、その誰かが、また次の世代へ手渡していく。
そのバトンの軌跡が、そのまま「街でいちばん高い場所」になっている。
創造というのは、こうやって時間を超えて受け継がれるべきものなのだと、サクラダ・ファミリアはひと言も発さずに教えてくれていました。
バルセロネータの星
夕方近く、海のほうへ歩きました。
バルセロナは内陸の街でありながら、地中海にも面している、両利きの街です。バルセロネータの砂浜まで来ると、波の向こうにヨットの白い帆と、帆をかたどったWバルセロナホテルのガラスの塔が、銀色に輝いていました。

砂浜の真ん中には、ひしゃげて積まれた4つの鉄の箱の塔。
レベッカ・ホーンの「傷ついた彗星(L’Estel Ferit)」と呼ばれる作品でした。

1992年のバルセロナ・オリンピックを機に、この浜辺に置かれた現代彫刻です。古い漁師町を取り壊して整備されたこの一帯の、消えた記憶を留めるためのモニュメントなのだそうです。

この街は、新しいものを建てるたびに、失われたものへの哀悼を、ちゃんと別のかたちで残しています。
旅の余韻

最後に、街角の小さな雑貨屋で、世界の都市までの距離を彫った木の看板を見つけました。
バリ、ホノルル、マラケシュ、メキシコシティ、東京、マイアミ、ザンジバル。バルセロナから何千キロ先まで世界が伸びている、ということを、ただの飾りとして示している看板でした。

ガウディの建築、ピカソのカフェ、地中海の浜辺、未完成の聖堂、世界の都市までの距離。
バルセロナという街は、これだけ多くの「層」を持っているにもかかわらず、どこも肩肘を張っていません。百年前の人がいまも語りかけてくる、けれどそれが押しつけがましくない。
自分は、こういう街の作り方を、いつか長浜という小さな城下町でも、ささやかに真似してみたいと思いました。

完成前のサクラダ・ファミリアを、自分はちゃんと、自分の目で見ました。
ガウディが100年かけて残したものを、自分は数時間で通り過ぎただけです。
それでも、その数時間が、自分の旅の輪郭を、もういちどはっきりと描き直してくれたような気がしています。

飛行機の窓から、地中海の沿岸線が金色のラインになって遠ざかっていきます。
何ひとつ立ち止まらない都市と、何百年も立ち止まったまま積み上がる聖堂と、その両方を抱えて静かに息をするバルセロナ。
完成と未完成のあいだに、これほど美しい時間が流れる街を、自分は他に知りません。
この記事を書いた人

- 代表取締役
- 株式会社FIRST MADE代表取締役。
Webブランディング10年を経て、2026年に中小企業向けAIエージェント事業「FIRST INTELLIGENCE」を立ち上げ。
自社でも15名のAIエージェントを日々の業務に運用し、実体験に基づくAI導入支援を行っています。
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