ある日、サンセバスチャンへ

2026.05.06

さて、前回の記事の続きです。
マドリードから北バスクのサンセバスチャンへ移ったのが、5月2日。

初日は街を歩き、ピンチョスを巡り、夕方にはオンダリビアのグラン・ソルまで足を伸ばしました。サンセバスチャンの二日目の朝。

オンダレタビーチから望むビスケー湾の広いパノラマ

この記事は、その日に書きためた一枚の写真と、ひとつの出会いの話です。

グラン・ソル

サンセバスチャン行きを決めたとき、自分にはひとつだけ目的がありました。
オンダリビアの旧市街にある「グラン・ソル」という小さなバル。

世界中の食通から名を知られたこの店で、日本人の女性が修行をしている、と聞いていたのです。

遠いバスクの港町で、日本から来た若い料理人が、毎日カウンターに立っている。
その事実を耳にしたとき、自分はなぜか胸の奥がふっと温かくなったのを覚えています。

会いに行こう、と決めるまでに、時間はかかりませんでした。けれど初日に訪ねたタイミングでは、彼女はちょうど休みでした。

朝のコンチャを歩く

翌朝、サンセバスチャンの街はぱりっと晴れていました。
遊歩道の白い手すりに沿って、湾の弧をたどっていく。波の音と、潮の匂いと、地元の人たちの朝の足音が、ゆっくりと重なっていきます。
ここから西へ歩けば、エドゥアルド・チリーダの彫刻「風の櫛」へとたどり着きます。

風の櫛の前で写真を撮る観光客たち

岩のあいだに据えられた鉄の彫刻のそばで、しばらく腰を下ろしていました。
波が崩れて、岩のすき間から白い水しぶきが垂直に噴き上がる瞬間に、不思議と緊張感が消えていく。これから始まる午後の旅に、自分の体を整えていくような時間でした。

オンダレタビーチから遠くモンテ・イゲルドの山並みを臨むワイドショット

もう一度、オンダリビアへ

昼下がり、再びオンダリビア行きの路線バスに揺られました。
フランス国境を望む小さな漁師町。白い壁にバスク色の格子戸、整形されたプラタナスの並木の下に、地元の人がワインを片手に集まっています。

港のそばに立つと、ビスケー湾の青がそのまま陸まで届いていて、漁船と港の灯台のあいだを、海鳥がゆっくりと旋回している。

会えるはずだ、という確信のような、それでも会えなかったらどうしようというささやかな不安。そのふたつが交互に胸の中で揺れていました。

グラン・ソル、二度目の扉

広場のそばに、その店はありました。
「Gran Sol de Hondarribia」── 革に金箔の文字で押された名前を、いちど扉を開ける手で軽くなでてから、店に入りました。

グラン・ソル・オンダリビアの革製メニュー・GASTRO MARKのロゴ

カウンターには信じられない密度でピンチョスが並び、料理人の一挙手一投足が、まるで茶人のようでした。
鋳鉄製の小さな台に乗って運ばれてきた一皿は、表面が飴のように艶めいていて、ナイフを入れた瞬間に空気が変わるのがわかりました。

グラン・ソルの鋳鉄製の小さな器に乗せられたピンチョス

一口含むと、海の塩気と、火の入れ方の精度と、見えないだしの層が、舌の上に順に立ち上がってきます。

グラン・ソルの白ワインに反射する店内の風景
緑のクレソンとマイクロリーフが添えられたグラン・ソルの繊細な一品

合間に挟まれたひと品は、ヒルダと呼ばれる古いピンチョス。

そのあとに出てきた皿も、また別の皿も、どれもが小さな建築のように丁寧に積み上げられていました。鮮やかな食用花が一輪、最後に置かれるその仕草までが計算されているのに、店全体の空気はあくまでも軽やかで、肩肘を張らない。

白いクリームソースを纏ったグラン・ソルのピンチョス

難しい技術を、自然な振る舞いに溶け込ませているお店でした。

昨日もいただいた料理ですが、本日もリピートしていきます。一皿ずつ美味しくいただくたびに、思わずため息が出てしまう料理の数々。

繊細な紋章模様が彫り込まれたグラン・ソルのワイングラス

食べ進めているあいだに、奥の厨房から、ひとりの日本人女性が静かに出てきてくれました。
た。

遠いオンダリビアの厨房で、毎日この皿の片隅に手を入れている、日本人の女性、つやかさんです。

店長のマルクスさんも一緒に、カウンターの前で記念写真を撮りました。三人で寄り添ったその一枚に、自分はその日の旅のすべてが収まっていたような気がしました。

グラン・ソルにてオーナーシェフ・つやかちゃんと筆者の記念セルフィー

つやかちゃんから話を聞くと、彼女がこの店の門を叩いたのは、まだ二十歳を少し過ぎたばかりの頃だったといいます。本場のバスクで腕を磨きたい、という一心で、言葉も伝手もないままに、ここまで来てしまった。到着した日に「働かせてください」と頭を下げて、いまも毎日カウンターで仕事を続けている。

その経歴を、彼女は何ひとつ自慢気には話しませんでした。むしろ、聞いている自分のほうが胸が熱くなって、しばらく言葉を探していたほどです。

グラン・ソルの若いスタッフと並んだ筆者のセルフィー

地球の反対側に身ひとつで降り立ち、そこで毎日、誰かのお腹を満たすために手を動かす。

その営みのなかに、年齢も国境も関係なく、ただ「ものを作る」という同じ尊さがある毎日デザインや言葉を組み立てている時間と、彼女がここで皿を仕上げている時間は、形は違っても、根っこの部分でつながっているのだろうと思いました。

旅の余白

グラン・ソルからの帰り道、夕暮れのバスの窓に、ビスケー湾の薄い金色が差し込んでいました。
誰かの手によって丁寧に積み上げられたものが、別の誰かの一日を、ほんのすこしだけ変えていく。

サンセバスチャンの皿の上には、その静かな尊さがいつも乗っていました。そして、その皿のなかには、つやかちゃんのような名もない若い手の仕事が、いくつも重なっている。

旅というのは、結局のところ、自分の仕事の重さを外から見つめ直すための時間なのかもしれません。

サンセバスチャン旧市街の夜のバルで賑わう人々

そして、こうやって遠い場所で同じものを作ろうとしている人と出会うために、自分はわざわざ飛行機に乗っているのかもしれない、とも思いました。

次回はスペインバルセロナ編。お楽しみに。

 

この記事を書いた人

山中貴司
山中貴司代表取締役
株式会社FIRST MADE代表取締役。
Webブランディング10年を経て、2026年に中小企業向けAIエージェント事業「FIRST INTELLIGENCE」を立ち上げ。
自社でも15名のAIエージェントを日々の業務に運用し、実体験に基づくAI導入支援を行っています。
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