ベニス・ビーチに立つ 〜青春を巻き戻すカリフォリニアの終着点〜

2025.04.16

二週間に渡るカリフォルニア旅の締めくくりとして、自分がどうしても立ち寄りたかった場所、それがベニスビーチでした。

19歳の頃、まだ右も左もわからないまま世界に憧れていた自分に、強烈な衝撃を与えた一本の映画。
そう、『ロード・オブ・ドッグ・タウン』です。

リアルなスケートカルチャーと、無骨で自由なアメリカンライフが、全身に突き刺さるような作品でした。

その映画の“震源地”とも言える場所が、まさにこのベニス。

到着した瞬間から、何かこう、時間が巻き戻るような不思議な感覚に包まれました。

夕方近くになると、空はみるみるうちに染まり始めます。オレンジ、紫、そして深いブルーへ。ヤシの木の影がゆっくりと長くなっていく中、ビーチ沿いに腰掛けて見上げた空は、まさにこの旅のフィナーレを飾る幕だったのかもしれません。

芝生に寝転んで、何も考えず、ただ波音と夕焼けを感じるひととき。履いていたバンズのチェッカーフラッグ柄のスリッポンが、この風景と溶け合って、まるで若い頃の自分と再会しているような気がしました。

『ロード・オブ・ドッグ・タウン』という名のバイブル

あの映画は、ただのスケート映画ではなかったと思います。

1970年代のベニス、サンタモニカ周辺で活躍した“Z-Boys”と呼ばれる若者たちの実話に基づいたストーリー。その生き様こそが、スケートボードというカルチャーの本質でした。

道路が濡れていようと、プールに水が残っていようと、彼らはそれを「滑るためのキャンバス」として捉えていた。スケボーは彼らにとっての自己表現であり、反骨であり、アートでした。

そしてその中心にあったのがこのベニスビーチだったということ。

この街の空気に、あの映画が詰まっているように感じました。

スケートパークに立って周囲を見渡すと、今もその精神はちゃんと受け継がれている気がします。子供も、大人も、プロも、素人も関係ない。誰もが楽しみ、競い合い、そして笑い合っている。板の上に乗った時、人はみな平等なんだなと、改めて感じさせられました。

スケートパークで見た「今」と「昔」の交差点

訪れた日のスケートパークには、数十人のスケーターが集まり、それぞれが自分のスタイルで技を披露していました。中には華麗なトリックを次々と決める若者もいれば、転んでも転んでも立ち上がるキッズもいます。

何よりも印象的だったのは、誰一人として“競争”していないこと。拍手や声援が絶えず、みんなで盛り上げ合っているような、そんな空間でした。

自分も昔、スケボーに夢中になった時期がありました。部屋の隅に立てかけていた板、深夜に近くの公園で練習していた日々。そんな過去の記憶が、ここにきて一気に蘇りました。まるで、あの頃の夢が現実になったかのような錯覚です。

空が少しずつ赤く染まるなか、U字のバンクを滑るスケーターの影が、風と共に流れていくのを見つめていました。

その姿は、まさに『ロード・オブ・ドッグ・タウン』のワンシーンと重なり、胸が熱くなりました。

夕焼けのクライマックス。補正も何もなくこの赤さ。

ベニスのストリートに広がる、色と音と匂い

スケートパークを後にして、ストリートに戻ってくると、そこにはまた別の“熱”がありました。

通り沿いには小さなショップが軒を連ね、ライブ演奏や即興パフォーマンスが繰り広げられていました。音楽、グラフィティ、古着、アート…まるで文化の万華鏡のよう。

↑なんとロード・オブ・ドッグタウンでも登場する70’SのZEPHYRのサーフボード

特に印象に残ったのが、とあるヴィンテージショップ。そこには、あの伝説的ムック本『マイ・フリーダム』が置いてあり、しかも著者であるリン・タナカ氏の直筆サイン入り。

これは偶然というより、運命的なものを感じました。

ショップのオーナーは70年代のカルチャーに造詣の深い人物で、壁にはピーター・マックスのサイケなポスター、そして「イースト・ウエスト」のレザージャケットが誇らしげに掛けられていました。

ベニスの朝に別れを告げて

翌朝。誰もいないビーチに出て、静かに朝の光を浴びました。

昨日の賑わいが嘘のように、海と空だけがそこにありました。

波打ち際でしばらく佇み、深呼吸を一つ。カリフォルニアでの最後の時間を噛みしめました。

その後、話題のオーガニック系スーパー「Erewhon Venice」に立ち寄り、ディスプレイの美しさと商品の質に感動しながら、ほんの少しだけショッピング。

地元の人々が当たり前に健康的なライフスタイルを送っていることにも、心からのリスペクトを感じました。

そして、レンタカーを返却し、空港近くのIN-N-OUT BURGERでいつものバーガーを頬張りながら、旅の最後を締めくくりました。

あの日の夕陽も、夜のスケートパークも、ヴィンテージショップも、全てが自分の記憶の深いところにしっかりと刻まれました。

次なる目的地は、アメリカ中央部の都市、ミズーリ州セントルイス。
カリフォルニアがくれたたくさんのインスピレーションと出会いを胸に、新しい旅が始まります。

この記事を書いた人

TAKASHI YAMANAKA
TAKASHI YAMANAKA代表取締役
1985.11.09 滋賀⇄東京⇄滋賀
最近気になるのはChatGPT OpenAi関連… 生成Aiにはどう頑張っても勝てないのでもう考えることを辞めましたw
▪趣味:旅行 ギター 読書 キャンプ 釣りとか…
9年前に始めたBLOGも750記事を超えました。
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TAKASHI YAMANAKA

CEO

1985.11.09 滋賀⇄東京⇄滋賀
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