先日、京都に行く用事が出来たのでそのままの足でずっと行ってみたかったアンディ・ウォーホル・キョウトを見に京都市京セラ美術館まで行ってきた。
ポップ・アートの旗手として、アメリカの大量消費社会の光と影を描いたアンディ・ウォーホルの初期から晩年にわたるこの大回顧展は、1950年代に商業イラストレーターとして活躍していた初期の作品から、1960年代に事故や死を描いた象徴的な「死と惨事」シリーズ、アンダーグラウンド映画やテレビ番組などの映像作品、セレブリティ(有名人)たちの注文肖像画、そして、その名声を揺るぎないものとしつつ、カトリックの生い立ちにも触れる晩年の作品などを包括的に展示する充実した内容の本展は、京都だけの開催。
個人的に彼のアートを10代から触れてきた僕にとっては、里帰りに近い感覚で実に久々に彼の作品に触れることが出来ました。
ウォーホルは、1956年の世界旅行中に初めて来日し、京都を訪れた。
本展では、京都とウォーホルの関係に目を向け、そのゆかりを示す貴重なスケッチなどを展示し、若き日のウォーホルの心を捉えた京都の姿に思いを馳せる。
彼は、30代でアーティストとして本格的に制作を開始。
初期にはアクリル絵具などでキャンバスに描いていましたが、1960年代以降はニューヨークに「ファクトリー」と称するスタジオを設け、当時目覚ましい経済成長のさなかにあったアメリカの大量消費社会を背景に、版画技法のシルクスクリーンを用いた「大量生産」のアジテーションとも呼べる作品を次々と発表する。
後に自身も東京のアパレル時代に出会ったロスアンゼルスのアーティスト、ローランドベリーは実は、ウォーホルの一番弟子だったということを知り、驚いたのを今でも鮮明に覚えいている。
キャンベル・スープ、コカ・コーラなど当時広く普及していた人気商品や、マリリン・モンロー、エルヴィス・プレスリーなど数多くの有名人をモチーフに次々と作品を制作し、「ポップ・アートの旗手」として活動するとともに、新たなポップ・カルチャーを定義。
アートのみならず音楽、ファッション、マスメディアなどさまざまなジャンルの表現に影響を与えた。
誰もが知っているアイコニックなものを独自のフィルターに通し、別の視点から再提示する彼のスタイルは当時は本当に異色に映っていただろう。
歴史的人物。毛沢東でさえも彼の手にかかれば、こんな印象でアウトプットされる。
ちょっとここからは、僕の見解だけど、ウォーホルは社会風刺的な部分でアートを通じて、社会的なMESSAGEを送ったという人が結構いるんだけど、これには僕は真っ向から否定している。
彼は正直そういった、反戦のミュージシャン的な要素は皆無。
もっと、アートというものを面白おかしく捉えていて、社会的なメッセージが。とか、体制に対するアンチテーゼみたいに彼を評価する人がいるんだけど、僕は全くの逆です。笑
そこの部分は、オブラートに包まずに言うなら、彼は全くといって興味がない。と思う。
実際、泥沼化するベトナム戦争を背景に置きながらも、それらに全く触れる作品を作っていない。
もちろんそういった作風を作ろうかと、脳裏によぎったこともきっとあったかもしれないけれど彼が出す答えは「興味なし」だ。笑
久しぶり、彼の作品群に触れた感想は、やっぱりウォーホルだなぁです。笑
20代の時にドはまりした時のまんま。それ以上でもそれ以下でもない。のが感想。笑
もちろん、僕にとって大好きなアーティストの一人。
この記事を書いた人
- 1985.11.09 滋賀⇄東京⇄滋賀
最近気になるのはChatGPT OpenAi関連… 生成Aiにはどう頑張っても勝てないのでもう考えることを辞めましたw
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