「ひょっとしたら長く生きられないかもしれない」。
昨年、そういう心配を一瞬でも抱いたことで(一瞬だった)、僕の毎日は少しずつだけれど色合いを変えた。そういう風に考えていた、昨春とか、昨夏とかの出来事。
自身の生真面目だけの生き方に嫌気もさす。周りの先輩方はしっかり気にかけていてくれたのに。
見えない壁がどれだけたち塞ごうとしても、僕は僕はありたいのだ。
それは変わりゆく世界の一片の欠片を間近で見れるこの時代をいきているからにほかならない。
「自分探しの旅」という表現があるが、個人的にはあまり好きな響きじゃない。そんなのん気な形容じゃ物足りないくらい「現実」というやつは厳しく、また激しい。
繰り広げられる毎日から生まれる、ひとカケラの思い出たちの集合体たちが「今日」という日を、静かに作り出している。
それは時に穏やかに、時に優しく、ぐっとこらえた感情も。
海外の町並みは「どうしたの?」と何食わぬ顔で聞いてくる。
また行こう。
そもそも僕は、いつまでも、このローカルな環境のステージにいてはだめなんだ。
経営者としてクリエイターとして、こんなところで立ち止まっていては全然だめ。もっとその先にある場所に行かなくては。
次は思いきり、言葉通じない国にいきたい。
そこで10日間ほど身を置き、また原点に戻りたい。
坂を登って、坂を下って。街を歩いて、宿まで帰る。
これの繰り返し。それでいい。
時には海に思いきり飛び込み、新しい海を感じる。
お金の稼ぎ方は人それそれなのだ。でも僕は変に染まらず、「自分らしい稼ぎ方でやっていきたい」
〇〇に必要だからお金がいる。というのはみんなそうなのだ。誰だってそうなのだ。
だけれどその中で絶対に曲げられない部分があったハズ。それを頑固に、意固地に貫いてこれたから今があるし(ちょっとひねくれてるけど)人の心を傷つけてまで銭金に執着はしない。
また数ヵ月後、僕はそうやって人生のひと時を過ごしてゆく。目指したい場所は一体どこだろう? けどまずは、日本語ではない言語を、きちんと操れるようになりたい。
そして、いろんなデザインの仕事をしながら、いろんな現地の人と知り合って、コミュニケーションをとって素敵な部分も、嫌な部分もきちんと見て、自分の血肉にしていく。
今までだってそうしてきたはず。
また始めよう。
旅をして一日の終りに冷えたビールがあれば、それでよし。
この記事を書いた人

- 代表取締役
- 1985.11.09 滋賀⇄東京⇄滋賀
最近気になるのはChatGPT OpenAi関連… 生成Aiにはどう頑張っても勝てないのでもう考えることを辞めましたw
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