消えゆく霧の向こうに、初めてサンフランシスコの扉を開いた。

2025.03.18

サンタバーバラを出発し、北へ車を走らせること数時間。

次なる目的地、サンフランシスコに到着したのは早朝でした。

12月のこの街は、やはり霧に包まれており、視界の先にあるはずの建物や海が霞んで見えました。

幻想的な雰囲気が漂い、まるで別世界に迷い込んだかのような気持ちに。

「これが、サンフランシスコか」

ゴールデン・ゲート・ブリッジは噂通り霧に包まれていました。

肌に当たる風は冷たく、冬の訪れをしっかりと感じさせます。その霧の向こうには、どのような街の表情が待っているのでしょうか。

そう思うと、胸が高鳴りました。

静かに横たわる自転車 — この街の現実

朝の街を歩いていると、ふと目に留まる光景がありました。

そこには、無残に放置された自転車が並んでいます。

サドルもハンドルも、タイヤさえも取り外され、まるで使い物にならなくなった鉄くずのように転がっていました。笑

「サンフランシスコは近年治安が悪い」とよく耳にしますが、それを象徴するかのような景色です。

しかし、単に「危険な街」というわけではなく、ここにはこの街で生きる人々の“もうひとつの現実”がありました。

今年最後の仕事をするために海沿いまで行き近くのカフェ向かいました。

天気の回復を待つためコーヒーを飲みながら、2時間ほど作業をし外の天気の頃合いを見計らい外へ出ました。

海の鼓動とともに歩く — ピア39の賑わい

カラッと晴れてきたはお昼すぎ。次に向かったのはピア39でした。

サンフランシスコのウォーターフロントを代表する観光名所であり、常に多くの観光客で賑わっています。

桟橋を歩けば、海風に吹かれながらカラフルな旗がはためき、ストリートミュージシャンの演奏が心地よく響いていました。

観光客が行き交い、カフェのテラスでは温かいコーヒーを片手に談笑する人々の姿も見られます。

そして、この場所で見逃せないのが、桟橋の上で気持ちよさそうに昼寝をするアシカたちです。

何十頭ものアシカが無造作に転がるように身を寄せ合い、時折のんびりと伸びをしていました。

海の上で自由気ままに生きる彼らを見ていると、どこか羨ましく思えてきます。

海の香りとともに味わう、絶品クラムチャウダー

ピア39を歩き疲れた頃、ふと食欲が湧いてきました。

そこで訪れたのは、サンフランシスコの名物「サワードウブレッド」の発祥地であるボーディン・ベーカリーです。

2024年の世界一周でトランジットで訪れたサンフランシスコ国際空港でも食べたボーディン。やはり美味しいです。

ここで味わったのは、サワードウブレッドを器にしたもちろんクラムチャウダー。

ほんのり酸味のあるパンに、クリーミーなスープがたっぷりと注がれています。

スプーンですくって口に運ぶと、濃厚なクラムの旨味が広がり、体の芯まで温まるような感覚を覚えました。

外は冷たい風が吹いていましたが、この一杯があれば、もう大丈夫だと思えるほどでした。

坂道を駆ける歴史 —— サンフランシスコ名物のケーブルカー

食事を終えた後、次に向かったのは、サンフランシスコの象徴ともいえるケーブルカー。

急勾配の坂道を、ガタゴトと音を立てながら進んでいくその姿は、まるで時間が止まったかのように街の風景の中に溶け込んでいました。

今回は乗車せずに見るだけでしたが、走る姿を眺めているだけでも、サンフランシスコらしい空気を感じることができました。

どこか懐かしく、そして新しい

この街の歴史と共に、今も変わらず息づく風景がそこにはありました。

ロックの魂が宿る場所 —— ハードロックカフェ

夕暮れ時、もう一度ピア39へ戻り、訪れたのはハードロックカフェでした。

店内に足を踏み入れると、そこにはロックの歴史が刻まれたアイテムがずらりと並んでいます。

ジャニス・ジョプリンの衣装、グレイトフル・デッドのポスター……

どれも、ただの「展示物」ではなく、かつてこの街で生きた音楽の魂そのものでした。

サンフランシスコは、60年代「ヒッピームーブメント」のカウンターカルチャーを生んだ街でもあります。

その空気が、今もここには確かに残っていました。

霧の彼方に広がる、次なる景色へ

こうして、サンフランシスコの最初の一日が幕を閉じました。

この街は、単なる観光都市ではなく、輝くような表の顔と、歴史や現実が織りなすもうひとつの顔を持っています。

そして、そのどちらもが、この街の魅力なのだと感じました。

そしてこの坂。

サンフランシスコは確か7つの丘からなる街で街なかもかなりアップダウンが激しいです。

しかしそれが織りなす景色は本当に絶景。

初日は再度海側(太平洋側)へ行きました。

この地平線のずっとずっと真っすぐ行った、向こうに我が祖国「日本」がある位置。

12月29日年末に一人、カリフォリニアを横断。

サンフランシスコで一人「日本」がある方角の位置に立ち「今年」を終えようとしている。

翌日はいよいよ、サンフランシスコを訪れた目的の一つでもある、ヒッピームーブメントの震源地「ヘイト・アシュベリー」へ。

この記事を書いた人

TAKASHI YAMANAKA
TAKASHI YAMANAKA代表取締役
1985.11.09 滋賀⇄東京⇄滋賀
最近気になるのはChatGPT OpenAi関連… 生成Aiにはどう頑張っても勝てないのでもう考えることを辞めましたw
▪趣味:旅行 ギター 読書 キャンプ 釣りとか…
7年前に始めたBLOGも600記事を超えました。
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TAKASHI YAMANAKA

CEO

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