さて、1960年代のアメリカ・サンフランシスコといえば、ヒッピーの聖地でありました。
僕は、この年代のイギリスやアメリカの音楽がとても好きで、もちろんこのジャニスの曲も何百回も聴いてるくらい好きなアーティストの一人でした。
まぁ当たり前ですが、60年代の音楽はリアルタイムでは体験しておらず、ジャニス・ジョプリンといっても、ヒッピーとかウッドストックとかそのへんにいて、ドラッグで若死にした、というくらいしか認識しておりませんでした。
というのも、ネットフリックスで「Festival Express」というずっと見たかった映画が最近UPされていました。
そこにぼくの好きなザ・バンドや、グレイトフル・デッドなどが出演しており、その映画も十二分に楽しかったのですが、その流れで同じカテゴリーにあった「Janice: Little Girl Blue」というドキュメンタリー映画がオススメされて見たのがきっかけで、久しぶりにドハマリしました(笑)
やっぱり音楽も大事ですがそのバックボーンが見れてそれにハマっちゃうと、一気にのめり込んじゃいますね。
自分が嫌でしょうがなかった。
ジャニスはテキサスの生まれですが、変わり者で、地味な顔立ちで、今で言う「コミュ障」「非モテ」であり、学校では「ブス」や「ブタ」などと言われて、ひどくいじめられました。
50年代、すでに「ビート」「ビートニク」などと呼ばれる、前衛的な詩・文学の潮流が勃興していたサンフランシスコのコミュニティでは、超越的な体験を得る実験として、種々のドラッグが使われていました。
ジャニスはそのコミュニティの中で、ドラッグ(ヘロイン)で体をこわしてテキサスにいったん戻ったり、婚約者に裏切られたり、故郷ではまたいじめられたりして、さんざんに傷ついて、音楽をやりながら、1965年にまた、なんとかサンフランシスコに舞い戻ります。
そこで、ジャニスはBig Brother and the Holding Companyというサイケデリック・ロックのバンドのリーダーに気に入られ、リードヴォーカリストとして参加します。このあたりは、現在のシリコンバレーで、なんとなくコミュニティができて人のつながりでベンチャーができ、コミュニティの中でそれを育てていく感覚と似ていますね。
カウンターカルチャーのど真ん中で
60年代後半、泥沼化するベトナム戦争に対するアメリカの若者の思想的には「ビート」の流れを汲むカウンターカルチャーが、より派手なスタイルの「サイケデリック」カルチャーとなり、「サンフランシスコ・サウンド」とよばれるサイケデリック・ロックが誕生しました。
ジェファーソン・エアプレーンやジャニスが加入したビッグ・ブラザーなど、ちょっと離れたパロアルトでは、グレイトフルデッドも頭角を現しました。
彼らは、すでにヒッピーの聖地として有名になりつつあった「ヘイト・アシュベリー」、つまりHaight StreetとAshbury Streetの交わるあたりに住でいました。
当時まだ合法だったLSDがふんだんにありましたが、ジャニスはドラッグの誘惑と常に戦っていました。
ウッドストックでは映像もあまり良くないし、動くジャニスを見てもあまり魅力を感じなかたんですが、このリトル・ガール・ブルーに収録されているLIVE映像にはちょと衝撃でした。こんなにもソウルフルに歌う女性を他に見たことがありません。
ビッグ・ブラザーは、モンテレイの後、急速に全国的に売れましたが、その注目はもっぱら、ブルージーでパワフルなヴォーカリストであるジャニスに集まりました。「バックバンド」扱いにむくれたバンドのメンバーとの間で不協和音が起こり、1968年には追い出されて独立。
儚い最期
ドキュメンタリーでは、この頃のジャニスについて、「舞台でパフォームし、大観衆の喝采を浴びているときだけが、気分が高揚して安心していられる時間であり、いったん舞台から降りて一人の時間になると、耐えられないほどの孤独と不安に苛まれていた」と描写しています。
婚約者に裏切られたあと、安定して彼女を支える人とはついに出会うことができず、男性だけでなく(女性とも関係をもつ)いろいろなパートナーに依存しては離れる不安定な関係が続きました。
そして、ずっと絶っていたドラッグとの戦いに彼女は負けてしまいました。
ジャニスは1970年10月、ハリウッドでレコーディング中に、ひとりぼっちでホテルの部屋で、オーバードーズのために亡くなりました。
そしてレコーディング途中だったジャニスのアルバム「Pearl」は、かなしいかな、彼女の死後に発表されました。
このストリーもぼくの大好きなサザン・ソウルを代表するオーティス・レディングの「The Dock of the Bay」と同じく皮肉なことに、死後に最大の大ヒットを記録することに…
まだ27歳、メジャーな活躍期間はわずか3年間しかありませんでした。
最大のご褒美は…
ジャニス・ジョップリン…彼女は「女性」というより、「女の子」という形容の方がどこかしっくりくるような。そんなひとではないでしょうか。
派手なスポットライトを浴びる一方で、常に不安にかられていた日々。
映画の中で彼女は歌うことについて こう語っています
私にとって、歌うことは人生における最大のご褒美よ。
日本ではビートルズのように彼女の曲はTVでは流れないけど、ココロをぐっと掴むものがあります。聴いたことのない方、まずはこの曲からいかがでしょうか。
Janis Joplin
Me And Bobby McGee
[あえてのMono Single ver.]
※タップ(クリック)すると曲が流れます。
この記事を書いた人
- 1985.11.09 滋賀⇄東京⇄滋賀
最近気になるのはChatGPT OpenAi関連… 生成Aiにはどう頑張っても勝てないのでもう考えることを辞めましたw
▪趣味:旅行 ギター 読書 キャンプ 釣りとか…
7年前に始めたBLOGも600記事を超えました。
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