苦と楽は対称性を成し、その幅は体験の厚みとなり、人間の厚み、仕事の厚み、人生の厚みをつくっていく。
なぜドストエフスキーがあれだけの重厚な小説を書き残せたのか。
それは彼の死刑囚としての牢獄体験や持病のてんかんなど、暗く深い陰の部分が、押し出され隆起して至高の頂をつくったからに違いありません。
文学にしても、絵画、映画にしても、作品が小粒になったと言われます。それは豊かで穏やかな社会が苦を和らげるために、表現者の厚みをなくさせていることがひとつの理由にあるのかもしれません。
そんな人生の真実を熟知していたのでしょう。陶芸家で人間国宝だった近藤悠三さんは、作れども、作れども、自らの作品が大きくなっていかないことを思いわずらい、次のように語ったと井上靖さんは書き留めています。
「なんぞ、手でも指でも一本か二本悪くなるか、腕でも片方曲らんようになれば、もっと味わいの深いもんができるかと思うし、しかし腕いためるわけにもゆかんので、夜、まっくらがりで、大分やりましたねえ。そして面白いものできたようやったけど、やっぱし、それはそれだけのものでしたね」。
苦と楽は常に対称性
あえて自分の身体の一部を不自由にしてまで芸の極みに到達したい。それほどまでに近藤は苦を欲していました。
苦と楽は対称性をもつ。
そしてその苦楽の幅は、その人の厚みを形成する。もし、いま自分がある不幸や不遇、悲しみやつらさのなかにあるなら、それとは対称の位置にある幸福や喜びを得られる可能性がある。
考え方によっては、自分がネガティブな状態にあることは、ある意味、すでに半分の厚みを得ているわけで、あとはその反対側にある半分のポジティブを手に入れるチャンスが目の前にあるということです。昔からよく言うピンチはチャンスというやつです。
先天的に、あるいは自分の思いのきかないところで苦労を背負わされることはさまざま起きます。ですが、そのマイナス分をプラスに転じていこうとするのは自分の選択です。
また、特段苦労はないという生活のなかに、夢や志を描いて、その成就のための負荷を意図的につくりだそうとするのも自分の選択です。人生の厚みを決めるのは、結局、自分の意志であり、選択といえます。
自分は何を望むのか
新しいことにチャレンジすると必ずといっていいほど応援してくれる人と、反対する人の二極に分かれます。
自分が、プラスの2を狙ったら、マイナスの2(リスク)が背中合わせについてくる。
プラスの5を狙ったら、マイナスの5がついてくる。プラスを狙わない(何もしない)ならマイナスもこない。ゼロ。
「プラス2」を狙うのではなく、「プラス10」を狙う生き方に変えてみなければならない。
そして身に降りかかってくる「マイナス10」を勇敢に乗り越えることで、「プラス10」を獲得する。
その過程で、その人は「20」の厚みに成長していく。そしてその後、「20」の厚みに相応する仕事をし、それに引き合う人が仲間になり、身の回りの環境までもを変えていく。
プラス20を更に転換させられるのも、その人次第。
チャレンジ、変化を恐れることなく、時流を掴みながら人間として、僕はもっともっと成長したい。
いろんな人との関わりの中で得られる価値観をスポンジみたいにガンガン吸収して、もっと自分に磨きをかけていきたいんです。
最後に
モンテーニュは『エセー』でこの様に記しています───
「人は軽薄の友である歓喜や、快楽や、笑いや、冗談によって幸福なのではない。むしろ、しばしば、悲しみの中にあって、剛毅と不屈によって幸福なのだ」。
ストイックに聞こえるかもしれませんが、人間の「幸せ」の本質な部分を突いている言葉と感じます。
この記事を書いた人
- 1985.11.09 滋賀⇄東京⇄滋賀
最近気になるのはChatGPT OpenAi関連… 生成Aiにはどう頑張っても勝てないのでもう考えることを辞めましたw
▪趣味:旅行 ギター 読書 キャンプ 釣りとか…
7年前に始めたBLOGも600記事を超えました。
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