THE BAND〜かつて僕らは兄弟だった〜

2021.07.16

さて今日は、久しぶりにがっつり音楽ネタです。

仕事に忙殺されている中、気づけば2020年に公開されていたザ・バンドのドキュメンタリー映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』を紹介します。

ザ・バンドといえば、マーティン・スコセッシが監督したドキュメンタリー映画『ザ・ラスト・ワルツ』が有名ですね。

以前に『ザ・ラスト・ワルツ』を世代を超えてスクリーンで見たときの感想を書いています↓

40年の時を経てスクリーンで蘇ったTHE BADラスト・ワルツ

この解散コンサートが行われたのが1976年11月25日のウィンターランドですから、もう45年も経っているわけです。

とてつもない影響を受けた人々

1968年当時、彼らは他とは全く違う音楽を奏でていました。ロックもあればソウルもブルーズもケイジャン、カントリーもフォークもある。しかも、そのどれにも収まらない要素もあって。

ある種「新しい音楽」を作っていたのがザ・バンドで、一般の音楽ファンよりもミュージシャン同士から熱い支持を受けていました。

例えば、以前も綴っていますがエリック・クラプトンに至ってはミュージックフロムビッグピンクを聞いた時に「人生が変わった。自分の音楽の方向性がガラリと変わった」と言っています。

若い頃に彼らの音楽を浴びて、とてつもない影響を受けた人々が映画の中で証言しています。

この映画は、THE BANDのギタリストであるロビー・ロバートソンの自伝に基づいて作られています。

彼らがボブ・ディランのバック・バンドに抜擢されたエピソードも、映画の中でもちろん出てきます。

ディランを世に出したプロデューサー、ジョン・ハモンドが、彼がミュージシャンとしてディランと同時期にデビューし、カナダまで遠征した時にザ・ホークスの演奏を耳にします。

「このバンドはすごい!」と思い、ニューヨークへ呼び寄せて自分の1965年にアルバムでバック・バンドを務めることに。

60年代に対するアンチテーゼ

エレクトリック路線になったディランのライヴでブーイングを受け、それに嫌気がさしたリーヴォンがバンドを脱退するエピソードや、1966年の交通事故で隠遁したディランとともにニューヨーク郊外でセッションを繰り返し、のちに『地下室(ザ・ベースメント・テープス)』(1975年)として発表される話なども、もちろん出てきます。

60年代後半からサイケデリック全盛の音楽シーンにおいて、ハードロックやプログレッシブ・ロックなどが産声を上げた時代でもありました。

ベトナム戦争の傍ら、本国アメリカではヒッピームーヴメントで、ドラッグカルチャー全盛の時代。

例にもれずLSDやマリファナにどっぷりハマる音楽ファンも多かったのも事実です。

その結果、地下鉄の外壁はチョコレートに見え、ウエディングドレスはマシュマロに見えたサイケデリアな人々に、アンチテーゼのごとく、自らの信念として揺るがなかった「アメリカーナ」という音楽を確立したTHE BAND

どこまでいっても土着であり、人間的であり、また、誰よりもアメリカの源流を追求した音楽。というのが最近僕がTHE BANDを布教する時に使っている文句です。笑

名曲誕生秘話

そして、映画の中で彼らがしきりに言っているのは、結成したときの彼らはエゴのぶつかり合いなど一切なくて、ほとんど家族のような関係だったということ。

THE BANDの代表曲the weightの誕生秘話もロビー自身が直々に語っています。

『マーティンのギターの、サウンド・ホールの中を覗くとNAZARETH. PA MADE IN U.S.A.という刻印が見て「ザ・ウェイト」の歌詞が出てきた。すると今まで旅をしてきた中で出会った人々の顔や声が頭の中に出てきたんだ。』

とワンシーンにあるのですが、これには流石に鳥肌が立ちました。

映画のタイトルも「Once were brothers(かつて僕らは兄弟だった)」です。

これはロビーの最新作に収録された楽曲のタイトルでもあり、その歌詞は「Once were brothers, Brothers no more(かつて僕らは兄弟だった、今は違うけど)」と続くのですが。確かに当時の写真を見ると、4人は本当に家族のような雰囲気です。

時代は流れ、メンバーもロビー・ロバートソンと、ガース・ハドソン(現在もWoodstock在住)だけしかこの世にいませんが、ぜひ若い人たちにも聴いてもらいたい音楽の一つですね。

違和感は早めに取り除こう。

世界を変えたレコード展

最もアメリカを歌ったTHE BAND関連の記事を書いてましたが、今回も紹介せずにはいられません。

聴きはじめて15年以上の月日が経っていますが、未だに大好きなバンドです。

 

この記事を書いた人

TAKASHI YAMANAKA
TAKASHI YAMANAKA代表取締役
1985.11.09 滋賀⇄東京⇄滋賀
最近気になるのはChatGPT OpenAi関連… 生成Aiにはどう頑張っても勝てないのでもう考えることを辞めましたw
▪趣味:旅行 ギター 読書 キャンプ 釣りとか…
7年前に始めたBLOGも600記事を超えました。
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TAKASHI YAMANAKA

CEO

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