「普段の生活の中で、”義”を通しているだろうか。」
最近、読書をしては、そんなこと考えながら生きている。
色んな人と出会わせていただくことの多い僕の仕事。
●利他の精神
良い立場に立って、安易に自分だけ利益を得ようとする行為は絶対にいけない。
また、利他の精神を貫くためには、事業に付加価値が必要で、本当の力が無ければ、そんなかっこいいことは実現できない。
まずは、自らの成長以外に利他を実践することはできない。
●信じ切って、思い切って強く推進する。
これだけしんどい思いをして、私たちが得る利益が一時的に小さい?などと考える必要はないのではないだろうか。
“義”を通すこと
最近事務所を移転して(まだ一部改装する予定があるのだけれど)オフィスの「顔」となるデスクを相談した工務店の社長さんに「うちのストックでよかったら好きに使ってください」と言って頂いた。
この言葉の意味を履き違えることなく、僕は”義”を通すことを先日から考えている。
僕からすると頂いたデスクの天板が”利”であることが、相手からしたら”義”を通すこととしても捉えられる。また、それは逆の立場で考えても同じことだと思う。
人間力
損得を考えすぎると、動きに深さがなくなり迫力を失う。
出会った方々との信頼関係がついて来る。
市場でのバリューがついて来る。
と、考えて精一杯やりきることだけにフォーカスすべきじゃないだろうか。
僕たちは、まだまだ市場で評価されたり、信頼されたりする立場ではないんだから、当面は徹底して汗をかき続けるだけ。
言葉ではなく、行動で掴み取る。
“利”を追わず、”義”を貫く。
確かに、数字を残すことは大切だが、それがイコール短絡的に、何でもアリな節操の無い営業姿勢とはならないはずだ。
こういう時代こそ、長期スパンでの視点を有し”義”を通すことが重要であると感じる。
義とは、五常(仁・義・礼・智・信)のひとつであり、正しい行いを守ること。人間の欲望を追求する「利」と対立する概念。
義を通し続けることは、並大抵のことではない。
通すためには、力が必要だ。
本当に力があるモノだけが、真実の”義”を通せる。
多様で変化の多い事業の場面でこそ、ブレることなく”義”を通し続ける。
“義”と”利”は対立する概念とされているけれど、本物の”利”とは”義”を通した先にしかない。
この記事を書いた人
- 1985.11.09 滋賀⇄東京⇄滋賀
最近気になるのはChatGPT OpenAi関連… 生成Aiにはどう頑張っても勝てないのでもう考えることを辞めましたw
▪趣味:旅行 ギター 読書 キャンプ 釣りとか…
7年前に始めたBLOGも600記事を超えました。
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