海岸寺院の風、路地裏の鼓動。インドで終える現役最後の公務

2026.01.15

インドの全国大会が終わりました。

3日間、朝から夜まで止まることのなかった時間が、急に静かになりました。

シェルワニを脱いで、ターバンを外して、いつもの服に戻った自分は、チェンナイという街をもう少し歩いてみたいと思っていました。 大会の熱量はすさまじかった。

でも、この国の本当の姿は会場の外にある。デリーで学んだことがあるとすれば、それでした。

マハーバリプラムの夜

翌日は観光へ向かいました。チェンナイから南へ車で1時間半ほど走ると、マハーバリプラムという街に着きます。

ユネスコの世界遺産に登録されている海岸寺院があると聞いて、足を運びました。着いたのは夕暮れ時。日が落ちてから見たほうがいいと、誰かに教えてもらっていました。
暗闇の中、ライトアップされた石の寺院が浮かび上がった瞬間、息を呑みました。

7世紀に建てられた石造りの寺院。1300年以上の時間を経て、まだそこに立っている。塔の先端に向かって積み上げられた石の一つひとつに、名前も知らない職人の手の跡がある。ベンガル湾から吹いてくる風が、砂を巻き上げていました。

デリーのクトゥブ・ミナールも800年の歴史でした。この寺院はさらにその上をいく。インドという国の時間の厚みを、自分はまだ全然理解できていなかったのだと思いました。

石柱の隙間から寺院を覗くと、まるで額縁の中の絵画のようでした。観光客がたくさんいるのに、不思議と静けさを感じる場所でした。

Indian Dance Festival

その夜、寺院のすぐ近くで野外ステージが組まれていました。Indian Dance Festival 2025/26。インド各地から集まったダンサーたちが、古典舞踊を披露するフェスティバルです。

バラタナティヤムという南インドの古典舞踊を、初めて生で観ました。 金と青の衣装をまとったダンサーたちが、寺院をバックにして踊る。手の指先から足のつま先まで、すべての動きに意味がある。何を語っているのかは自分にはわからなかったけれど、体の動きだけで物語が伝わってくる。

言葉がなくても伝わるものがある、ということを、この旅で何度目になるかわからないけれど、また思い知らされました。 夜空の下、石の寺院の前で踊り続ける姿を見ながら、自分は仕事のことを考えていました。

デザインも、突き詰めれば同じことなのかもしれない。言葉ではなく、形や色や動きで何かを伝える。1300年前の石工も、目の前のダンサーも、自分も、やっていることの本質は変わらないのかもしれないと。

チェンナイの路地裏

翌日、チェンナイの街を歩きました。

デリーの混沌とはまた違う空気がありました。オートリキシャの黄色が目に飛び込んでくる。歩道では太鼓を並べて売っている人がいる。鳩が群れている広場で、男たちがしゃがんで何かを話している。

Geetha Cafeという地元の食堂を見つけました。レトロな看板が味を出していて、デザイナーの目で見ると完璧なタイポグラフィでした。こういう看板は、計算して作れるものではない。

年月が勝手に味をつけてくれる。 タミル語の看板が並ぶ通りを歩くと、デリーとは文字の形がまったく違うことに改めて気づきます。丸みを帯びた独特の曲線。

PHILIPSの看板の横に、タミル語で同じ言葉が併記されている。グローバルとローカルが、何の違和感もなく隣り合っている。

色鮮やかなサリーを着た女性たちが、道端でスマホを見ている光景も印象的でした。

伝統と現代が衝突しているのではなく、自然に溶け合っている。日本では「伝統か、現代か」という二択になりがちですが、インドにはその二択がない。両方を同時に生きている。

クラフトマーケット

郊外のクラフトマーケットにも足を運びました。

茅葺き屋根の小屋が並ぶ一帯に、木工品、布製品、アクセサリーが所狭しと並んでいます。貝殻とコインを編み込んだ伝統的な装飾品。カラフルな布が風に揺れている。

木彫りの象や箱が、屋根の下にぎっしりと積み上げられている。 オレンジ色のサリーをまとった人たちが、茅葺きの建物の前に並んでくれました。

写真を撮らせてもらった時、全員が真っ直ぐにカメラを見ていた。その目の強さが忘れられません。 天井まで本が積み上げられた書店にも入りました。

タミル語の本、英語の本、ヒンディー語の本。床から天井まで、隙間なく積まれている。日本の整然とした書店とは正反対の光景でしたが、「知」への欲求がそのまま形になったような空間でした。

バナナリーフの上で

南インドの食事は、デリーとはまったく違いました。 バナナの葉の上に盛られたスパイシーな料理。

銀の器に入った黄色いカレー。北インドのこってりしたバターチキンとは対照的に、ココナッツミルクとカレーリーフの風味が効いた、どこか優しい辛さでした。

食事をしながら、この旅で食べたものを思い返していました。デリーの路上で食べた最初のカレー。Gulatiのバターチキン。深夜のチャイ。そしてチェンナイのバナナリーフ。

同じインドなのに、北と南でここまで味が違う。同じ「カレー」という言葉では括れない。それは、この国そのものの姿だと思いました。一つの言葉では括れない、途方もない多様性。

錆びた標識の前で

街を歩いていると、タミル語で書かれた青い道路標識が目に留まりました。 錆びて、傾いて、文字の一部はもう読めなくなっている。でもまだそこに立っている。撤去されることもなく、新しいものに替えられることもなく、ただそこにある。

この国では、古いものを壊して新しくする、ということをあまりしないのかもしれない。古いものの横に新しいものを置く。それでいい。それが、この国のやり方なのだと思いました。

果物の屋台が道にはみ出していて、人々がぶつかり合いながら歩いている商店街。タミル語の看板の上に英語の看板が重なり、その上にさらにヒンディー語の看板がある。混沌としているのに、不思議と美しい。

アンナ国際空港

インドを離れる日が来ました。

ドライバーさんがスーツケースをトランクに積んでくれました。

ホテルから空港までの道中、窓の外を流れるチェンナイの景色を、自分は目に焼き付けようとしていました。 チェンナイ・アンナ国際空港のターミナルD7。

送迎のスタッフが最後まで荷物を運んでくれて、笑顔で手を振ってくれました。到着した日に「WELCOME TAKASHI YAMANAKA」のボードを掲げて待っていてくれた、あの空港に戻ってきた。あの時は不安のほうが大きかった。今は、違う気持ちでここに立っています。

40歳、最後の公務

今回のインド渡航は、自分にとって特別な意味を持つものでした。 40歳。青年会議所の現役最終年度。12月の年末の参加は、現役メンバーとしての最後の公務でした。

JCIでの活動を通じて、自分は世界中の経営者と出会い、たくさんのことを学ばせてもらいました。日本にいるだけでは絶対に見えなかった景色を、この組織が見せてくれた。

チュニジアの青い街も、イタリアの石畳も、上海の夜景も。

そして、インドの混沌と熱量も。 最終年度の最後の公務が、インドだった。それは偶然ですが、自分にとってはこれ以上ない終わり方でした。

正解のない道を歩いていいと教えてくれた国。言葉が通じなくても笑い合える人たちがいる国。1300年前の石の寺院が、今も風の中に立っている国。 この国で現役最後の任務を終えられたことを、自分は誇りに思います。

次の場所へ

インドを後にした自分は、日本に帰る前にもう一つ、行く場所がありました。 カウントダウン。年越し。タイのバンコクへ向かいます。

次回、バンコク編。お楽しみに。

この記事を書いた人

TAKASHI YAMANAKA
TAKASHI YAMANAKA代表取締役
1985.11.09 滋賀⇄東京⇄滋賀
▪趣味:旅行 ギター 読書 キャンプ 釣りとか…
10年前に始めたBLOGも800記事を超えました。
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TAKASHI YAMANAKA

CEO

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