ニューヨークの朝、セントラルパークに足を踏み入れると、どこか別の世界に来たかのような感覚に包まれました。
摩天楼に囲まれたこの巨大な緑地には、都市の喧騒が嘘のように静けさが広がっています。

この日はレンタサイクルを借りて、公園内をぐるりと巡ることにしました。自転車道と歩道がきっちりと整備されているのも、ニューヨークならでは。

風を切るようにペダルを踏みながら、体に残る疲労や時差ぼけさえもどこかへ消えていくようでした。
目に映るのは自由そのもの。
芝生に寝そべるカップル、犬と散歩する老婦人、木陰で読書を楽しむ学生たち。みんながそれぞれの時間を丁寧に過ごしている姿がありました。決して特別な光景ではないのかもしれませんが、自分にはこの瞬間がとても尊く、心に沁みるものがありました。

自転車を止め、ベンチに腰掛けて見上げた空は高く、青く澄んでいました。
都会の中心に、こんなにも豊かな自然と静けさがあることに、ただただ驚かされます。そしてふと思いました――この場所は、人間の「自由」という言葉が最もよく似合う場所なのかもしれないと。
“IMAGINE”に座る。あの日、憧れたジョン・レノンへ
セントラルパークの西側、木々の奥にひっそりと現れる「ストロベリー・フィールズ」は、ジョン・レノンを追悼する記念エリアとして世界中のファンに愛されています。
その中心にある“IMAGINE”と描かれたモザイクアートの前に立った瞬間、胸の奥からこみ上げるものがありました。

ちなみにこちらは、イギリスのリバプールにて撮影したIMAGINEサークル。いつか本物のセントラルパークのサークルを見たい。と思っていたのが願いが叶って良かったです。
中学生の頃、自分はジョン・レノンの評伝を文庫本で読みました。

それが、自分にとって初めて“自分の意志で買った本”だったと記憶しています。
そこには、ジョンの哲学、反骨、やさしさ、そして悲劇までが丁寧に描かれていて、その文章の中にあった“セントラルパークの一角にある記念碑”が、いま、目の前にある。

“IMAGINE”。その一言に込められた想いに、世界中の人が触れ、静かに想いを馳せている。自分もまた、そっとモザイクの縁に腰を下ろしました。

30代最後の年、自分は人生で一番好きだった音楽家の“足跡”を、この足で辿っている。そう思うと、涙がこぼれそうになるのをこらえるのに精一杯でした。

歩道の向こうには、かのダコタハウス。歴史に刻まれた、あの悲劇の場所です。あの晩、ジョンはここで命を落としました。

文庫本に書かれていたその一節が、現実の風景として目の前にある。

これまで自分の中にあった「物語」が、「現実」に変わっていく感覚。
今もその余韻は心に深く残っています。
巨大なルイ・ヴィトンが語るニューヨークのエネルギー
五番街を歩いていたとき、突如として目に飛び込んできたのは、ビル全体が巨大なトランクになったようなルイ・ヴィトンの建築でした。

思わず立ち止まり、目を見張りました。あまりに大きく、あまりに突き抜けていて、ニューヨークという街のエネルギーをこれでもかと見せつけてくる。
ユーモアと野心。ラグジュアリーと遊び心。そのすべてが詰まったこの建物の前では、誰もが一瞬、子どものような顔になります。

建物の大きさが、構図の中に収まりきらない。それもまた、この街らしさなのでしょう。
世界のトレンドが集まり、文化がぶつかり、そして昇華していくこの都市には、常に“驚き”と“笑い”が混ざっているようです。圧倒される一方で、それを楽しんでしまう自分もまた、ニューヨークに呑み込まれていたのかもしれません。
プラザホテルの前で立ち止まった理由
五番街をさらに進むと、白亜の外壁が美しいプラザホテルが見えてきました。

1907年に開業し、100年以上の歴史を誇るこのホテルは、単なるラグジュアリーの象徴ではありません。1985年、ここで「プラザ合意」が締結され、日本の経済が大きく転換した歴史的瞬間の舞台でもあります。

ホテルのロビーを覗きながら、自分はふと「日本の未来」を思い返していました。あの合意から、為替は変わり、製造業は揺れ、働き方や価値観までもがじわじわと変化していった。その発端が、この建物の中にあったという事実には、改めて感慨を覚えました。
歴史の舞台が、こうして観光地として今も現存している。そこに立つだけで、時間が少しだけ巻き戻されるような気がして、不思議な気持ちになりました。
芝生に寝そべる人々に見た、自由という光景
再びセントラルパークへ戻ると、午前中よりもさらに多くの人々が芝生に集まり、それぞれの時間を楽しんでいました。

裸足でピクニックをする家族、日焼けを楽しむカップル、ギターを爪弾く若者、木陰でスケッチを続ける女性――誰もが、自由で、穏やかでした。
こんなにも多くの価値観が共存し、ぶつかり合わずに存在している。その風景を目の当たりにして、「自由とは、静かで優しいものなのかもしれない」と感じました。

ジョン・レノンがこの街に住み、この公園を歩き、そして「IMAGINE」という言葉を残した理由が、少しだけ理解できた気がします。
この地に根付く精神、それは“違いを許容する”ということかもしれません。

芝生に腰を下ろし、空を見上げました。ビル群の間を吹き抜ける風が、心地よく髪を撫でていきます。
この瞬間、自分はたしかに、ニューヨークと呼ばれるこの街の「自由」と対話していました。

次回はとうとう念願のカリブ海に浮かぶ、憧れの国「ジャマイカ」へ。
この記事を書いた人

- 代表取締役
- 1985.11.09 滋賀⇄東京⇄滋賀
最近気になるのはChatGPT OpenAi関連… 生成Aiにはどう頑張っても勝てないのでもう考えることを辞めましたw
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